2018年に日本ACP研究会という医療サイド向けのACPを推進する研究会に入会し、医療者側の考え方や問題点を色々学ばせて頂いた。
その中で、ACPは医療者側だけの問題としてしまってはいけない。患者側も終活を通して多くの「自己決定」をしていく必要があると感じた。
この時から、「患者側のACP」とは何か?を考えてきて、ようやくここに辿り着いた。
今、ACPの対象になっている世代は、団塊の世代を中心とした前後の世代。所謂、戦後の高度成長期の日本を支えてきた世代だ。この世代の最も特徴的な事は「言わない美学(我慢)」であると最近になって確信が持てた次第だ。
ACPはAdvanced Care Planningの略で、人生会議等という言い方もされている。しかし、この両者はイコールでは結べない。ACPは医療に特化した内容であり、終末期における自身の治療をどうしたいかを自己決定していく過程であり、人生会議は終活そのものである。私個人としては、終活やエンディングノートという呼称は好きにはなれないので、「人生の備忘録」なんて呼びながら講演活動を行っている。
人生会議には多くの項目が含まれており、相続・お墓・葬儀・医療介護・老後の生活・土地や家・ペット・保険・その他多くの内容が含まれる。これらは、一人一人異なっており千差万別であるため、テンプレート化するような考え方では対応出来ない。また、この取組が進まない要因が、①呼称、②対象世代の意識(我慢)、③核家族化があると考えている。しかし、今まで高齢者向け勉強会を多数開催してきて感じる事は、「漠然とした不安」は皆さんお持ちと言うことだ。
この「漠然とした不安」こそ終活の始まりなのである。特に、医療介護の問題は、自分や家族だけで解決できない問題だけに非常にセンシティブな内容でもある。医療に関する寄らば大樹の陰的な考え方は、医療費が多少変化したぐらいでは流れも変わらずである。大病院であれば1度の受診で、複数診療科を受診でき、言わばスーパーマーケットのような存在であり便利である。一方で、診療所やクリニックは、個別に専門性が分かれており複数診療科を受診しなければならない高齢者にとっては不便な存在である。しかし、いざ寝たきりになってしまったときに誰が医療の面倒を見てくれるのか?を今の高齢世代は全く考えていない。今まで受診していた大病院が助けてくれると思っている方々も多い。しかし、現実としては、初対面の訪問診療医が来て自分の最期の時間を担当することになるのだ。どんな医者なのか全く解らない医者に最期の時を託せるか?と言うことを考えていないのである。こう考えると、ある程度の年齢になったら、大病院からクリニックへ受診が大変でも変わっていく必要性がある。今の時代、オンライン診療も処方薬剤の配達もある。上手く活用しながら行ければ、大病院を頼らなくてもやっていける。そうしているうちに、そのクリニックの1つに訪問診療を託す事になるがこの流れは自然だ。こういう事を1つ1つ考えてもらう事は、終活(人生会議)を行う上では重要だ。私は、自身の両親を看取った経験や自身が大病院の救命領域にいた経験からも色々なお話しが出来る。若者世代と比べれば圧倒的に残されている時間は短い高齢者に、この終活を理解してもらい行動してもらう、その延長線上に医療者側の理解であるACPがあるのである。
ACPと簡単に言っているが決して容易なことではない。ヒトは感情の生き物であるから、日々気持ちも揺れる。昨日思っていたことが今日には変化する事もある。近所の仲良しさんとの会話から気持ちが変わることもある。この「気持ちの揺らぎ」をしっかり「自己決定」に変えていくには時間も必要になる。だから、少しでも早く始めた方が良いのである。
ではなぜ、相談窓口なんて言う面倒なものを開設するのか?本来の在り方としては、この役割は行政が担うべき内容である。しかし、個別の内容になると、そこに関わってくるのは全て民間企業である。行政が介入して特定の民間企業に斡旋のような形は取れない。特に葬儀系はCMを見ていても思い浮かぶ会社は多くない。その中で、行政が特定の1社へ対象者を流すことは平等性の観点からも問題がある。また、各個別の内容は専門性が必要だったりもするため、行政での対応範疇を容易に超える事になり結果的にトラブルに繋がるケースが出たりもすることを考えると、私のような者が、この役割を担うことはある意味非常に適任であると自負もしている。地元の社会福祉協議会の協力も頂けそうだし、場合によっては行政との連携も視野に入る。私は、この活動を営利目的にはしていいない。これを営利目的にやろうとすると、本来の目的である「終活(人生会議)の啓蒙」からも逸脱してしまう。2022年1年間じっくり考えた結果の活動開始だ。さてどうなるか…まずは2023年3月28日に「終活を考える」というタイトルで講演をして、活動開始の幕を切りたいと思っている。
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