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  • 宇野 重起

病院事務方は底辺職種?(事務方経営勉強会より)


 日本の医療は、複雑な制度の下に支えられている。国民皆保険制度、診療報酬制度を始め、様々な法律等に雁字搦めに縛られている状況にある。しかし、これら複雑な制度の存在が、多くの医療機関を守ってきた歴史も存在している。

 医療とは、人命を扱う唯一の領域であり、他の業種(界)とは一線を画す位置づけであり、高度の専門性を有する職種の集団である。しかし、2000年以降、日本の医療には米国DRGを日本版に変形したDPCの導入を皮切りに、包括診療という考え方が広まってきた。現在では、部分的包括診療も含めると、従来の出来高診療をしている部門を探すことが困難なくらい包括診療が進んできた。

 包括診療は、少子高齢化に対する国の医療費抑制政策であり、医療の標準化を進めるための施策でもある。医療の標準化が進むと、日本全国で提供される医療に格差がなくなると言う点では、患者目線としては安心材料となるが、コロナ禍で明らかになった日本の医療機関数を軸に見ると、差別化の難しい時代に突入したとも言える内容である。従来、出来高算定がメインであった頃の差別化は、医療の質で勝負できる部分が存在した。出来高故、診療報酬として計上できる部分を最大限活用して医療の質を求めることも出来た。結果、同一疾患における治療内容の分散が大きくなり、医療提供における均一化も困難になった。しかし、包括診療下においては、医療の質を追求するにも限界があり、医師の力量での差別化は限界に達しつつある状況である。当然、医師の力量外の部分に於いて他院との差別化は追求していかなければならないが、医師という一職種に限定した差別化はもはや限界であると言っても過言ではない。

一方、医療経営的な部分はどうか?と言えば、診療報酬制度の複雑化により、従来のように制度自体を理解する医師が減少しているという背景も存在する。さらには、学会matterによる治療方針も強化され、診療報酬と学会基準の不一致部分でも診療報酬自体が医師から受け入れづらくなっている側面も存在する。

このように、現代の日本医療においては、治療の標準化による医療の質の限界と複雑化する診療報酬と学会基準の関係で、病院という組織を医師が回していくことが困難な時代であると言える。その中で、診療報酬的にも学会基準的にもなんの制約や基準もない事務職の活躍が今後の病院経営を左右する大きな試金石であると考えるのである。

病院事務職は、古くから他の医療職者と異なり国家資格者ではなく、良くて民間資格が限界であり、現状においてもそうである。病院事務職と言えば、厳しい労働環境、休みの少ない労働環境(GW、年末年始等)、低賃金、患者クレームの受皿、院内での雑用的扱い等、良いことが何もない職種であると認識している方が大半を占めていると経験的に思う。しかし、見方を変えて、多くの国家資格者が働く医療現場に於いて、最小構成という考え方で見るとどうなのか?最小構成では、医師と事務職がいれば医療経営は成立するという事も言える。つまり、医師は、医療サービスの提供、事務は、医師が提供したサービスを金に変換する仕事であるため、現状のような複雑化した診療報酬の下では事務職の存在は必要不可欠であると言えるが、多くの医療機関では、そのことを認識していないのも事実である。

こんな環境で役務の提供を行っている病院事務職であるが、これからの医療経営においては非常に大きな存在として自分たちの存在価値を見いだしていかなければならない。病院事務職は何故、これほどまでに底辺意識が染みこんでしまったのか?前述のような環境的要因もあるだろう。しかし、自らの存在価値を高めようとする努力はどうだったのだろうか?医療職者は患者を相手に、自らの職に自信とプライド、プロ意識を持って臨んでいるから、過酷な労働環境下でも耐えて来られた。事務職も労働環境的には過酷であるが、意識としてはどうであろうか?「プロ」としての意識が醸成されているのだろうか?ただひたすらに、周囲に居る国家資格者の顔色をうかがい、怒られないように動き、多くを語らず、じっと我慢をするだけで良いのだろうか?自らが動き、連携関係を深め、情報を発信し…と積極的な姿を見せると、医療職者の見る目も変わるはずである。

今日は、今一度、自分たちの仕事を振り返り、これからの自分たちの存在価値、存在意義について考えてもらえればと思う。偉くなる必要はない…ただ、院内に自分たちの存在をしっかり認めてもらうにはどうするべきなのか?を考える勉強会になればと思う。

私の考える理論に (労働力)=(経験)×(知識)×(やる気)というものがある。経験や知識は在籍年数に比例して手にすることが出来る部分であるが、やる気は、自ら啓発しなければ経験、知識と反比例して低下してしまう。経験、知識の積み重ねはルーティンを生み出し、職場環境の風土や歴史になっていく。しかし、このルーティンは時代の流れの中での変化を止めてしまう働きもする。古き慣習に引きずられ、新たな取り組みが出来なくなる。これこそルーティンの弊害である。このルーティンに縛られているとやる気も低下する。何を言っても、やってもルーティンにないから…と。これでは、成長が止まってしまう。個人の成長こそが組織の成長になり財産になるのであって、ルーティンの保持が成長に繋がるのではない事も理解をして欲しいと思うのである。

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